Last Updated on 2020年1月2日 by Dai Ando
どこでこの話を読んだのかは忘れてしまったのですが、
とても考えさせられた話だったのでここに紹介したいと思います。
今もふとこの話を思い出しては、
“この象のようになっていないか!?”
と、自分を縛り付けている”ちっぽけな杭と鎖”がないかどうか、見直すようにしています。
縛られていないようで、
文化や世間体、常識、羞恥心、プライド、人間関係、お金、そんなもの達に意外とがんじがらめ。
しかも、それが当たり前だと思っていることばかりなので、
よほど意識しない限り、自分ではなかなか気が付けないのがとても厄介。
以下、ホルヘ・ブカイ著 麓愛弓訳「寓話セラピー」からの引用です。
少年はサーカスが大好きで、中でも動物ショーがいちばんの楽しみだった。
特に象がお気に入りだった。
その大きな動物は舞台に上がると、持ち前のすさまじい体重や図体、怪力をみごとに披露していた。
しかし演技が終わって次の出番を待つあいだ、象はいつも地面のちっぽけな杭に足を鎖でつながれていた。
「木を根こそぎ一本引き抜くほどの力を持った動物なら、杭をひっこ抜いて逃げることなど簡単そうなのに……」
その疑問は誰もが抱くものだろうと思う。
「一体何が象を捕まえているんだろう?」
「どうして逃げないんだろう?」
この疑問にある賢い人はこう答えた。
「サーカスの象が逃げないのは、とっても小さいときから同じような杭につながれているからだ」
少年は生まれたばかりのか弱い象が杭につながれているところを思い浮かべた。
象は、押したり、引いたり、汗だくになって逃げようとしたに違いない。でも努力の甲斐なく逃げることはできなかった。
小さな象にとって、杭はあまりに大きすぎたのだ。
疲れきって眠ったことだろう。
次の日もまた逃げようと頑張って、次の日も、そのまた次の日も……。
ついにある日、象は自分の無力さを認めて、運命に身を委ねたのだ。
サーカスで見る大きく力強い象は、“できない”と信じ込んでいるから逃げないのだ。
生まれて間もないときに無力だと感じた、その記憶が頭にこびりついている。
そして最悪なのは、二度とその記憶について真剣に考えなおさなかったことだ。
二度と、自分の力を試そうとはしなかったのだ。
怖いですね〜><!
恐ろしいですね〜><!!
もし自分が「ちっぽけな杭と鎖につながれている」ことに気が付いたらどうしましょう?
僕は”つながれていない人”に会いに行くようにしています。
Jump the border!!
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