Last Updated on 2021年8月27日 by Dai Ando
はじめに
僕ももう47歳になりました。
でも子供はまだ4歳と0歳。
元気な母が突然亡くなり「次は自分の番かな」と考えるようになりました。
コロナは落ち着かないし、ワクチンもまだ新しくて不安もあるし、これから何が起こるかなんて誰にも分かりませんよね。
子供達が大きくなったら読んでもらえるよう、このブログに少しずつ伝えたいことを残しておこうかと思いました。
今回は、将来自分の子供に伝えておきたいことの一つ
「なんだか辛いなと思ったら我慢し過ぎないで、さっさと自分が生きやすい環境に移動する」
に関して書きたいと思います。
小5での転校
「環境を変えるとこんなに気持ちが楽になるのか」と初めて思ったのは小学校5年生の時。
私立の小学校から地元の公立に転校した時でした。
父の意向で、川崎市溝の口にある某「洗足学園付属小学校」という私立の小学校に通っていたのですが、中学受験に力を入れている小学校でしたので、いつも勉強ばかり。
当時は5年生から男女でクラスが分けられ、授業終了後の補講が始まりました、
とにかく勉強へのプレッシャーが凄く、学校生活は正直全然楽しくありませんでした。
教頭に髪の毛を掴まれ引き摺られる
よく覚えているのが、当時教鞭を取っていた教頭が、僕が何かの問題に答えられなかった時、突然髪の毛を掴み、後ろ向きに髪の毛だけを引っ張り僕を引きずり、教室の後ろのドアから廊下に放り出したこと。
割と前の方に座っていたので、かなりの距離を引きずられました。
ごそっと髪の毛が抜け、ショックで呆然としていたことを覚えています。
そんな教え方で勉強が出来るようになるのなら苦労しないですよね。
地元の公立へ
ちょうどその頃、父は僕をもっと塾に通わせたかったようで、補講ばかりで塾に行く時間のない僕を見て、補講のない実家すぐ裏の公立小学校に僕を転校させました。
決して楽しかった訳ではないのに「転校する」と言われた時はとても嫌でした。
友達から離れて、知らない人ばかりの環境に移動するのはとても怖かったし、親にもかなり抵抗したのはよく覚えています。
でも実際に転校してみると
- 制服もなければ補講もない!
- バイオレントな教頭もいない!
- 新しい担任の先生は優しい!
- そしてお弁当ではなく憧れの給食です!(もちろん母のお弁当はいつも美味しかったですが^^)
- 更にクラスに女の子もいる!
もの凄い開放感!
窓のない真っ暗で狭い牢獄からお花畑にパッと解放されたように、世界が白黒から急にカラーになりました。
以前は育毛剤を使う小学生
前の小学校にいた頃に母が「これを毎朝つけなさい」と、僕に育毛剤を買ってくれました。
名前は忘れましたが匂いはよく覚えています。
当時は「なんでだろう?」と思っていたのですが、後日母が「大の髪の毛が薄くなってて心配で買ったのよ」と教えてくれました。
髪を掴まれ引き摺られたのもあると思いますが、自分でも気が付かないうちにストレスとなり、身体にそれが現れていたのでしょう。
前の学校が当たり前だと思っていたので、もし転校しなかったら「それが負担になっていたこと」すら気が付かなかったと思います。
転校前は「抑圧」
振り返ると前の学校の方針は「抑圧」でした。
「出来ないとこうなる」と罰を見せつけ、プレッシャーをかけて勉強させる。
できる子にとってはそれでも良かったのかもしれません。
罰は受けませんから。
でも、並の僕には苦痛でした。
「できる子は凄いな」と思わされるばかりで、自信は削られてゆきます。
当時の友達の性格はあまり覚えていませんが、勉強ができる子かどうかははっきりと覚えています。
個性なんて必要なく、ただ勉強ができれば評価されるのです。
転校後は「のびのび」
転校した先の公立は本当に「のびのび」としていました。
今でもクラスのみんなのキラキラとした個性をよく覚えています。
授業中も言いたいことを発言させてくれましたし、それを尊重してくれました。
ちゃんと「人として見てくれてる感」がありました。
成績も大事かもしれませんが、この頃は自信や個性を伸ばしてあげる時期なのだと思います。
自信があれば、残りの人生大抵のことは乗り越えられます。
今でも戻れるなら戻ってみたいくらいに、転校してからは最高の小学生生活でした。
少し話はずれましたが、環境を変えると楽になる一つの例でした。
知人の経験
次は某大企業に勤めていた知人の話です。
- 彼はその会社で有望株で、朝は7時半から夜中まで毎日仕事をしていました。
- そんな彼の頑張りが評価され、本社のある関西方面への移動が決まったのですが、
- 家族子供の生活が既に地元で確立していたこともあり、単身赴任をすることにしました。
- 子煩悩な彼は週末ごとに新幹線で家族に会いに地元に帰っていたのですが、激務のあまり、ある時から死を考えるようになってしまいました。
- いわゆる自殺企図です。
- そこから隔離設備のある病院に緊急入院。
- 入院中も仕事が心配で何度も会社に連絡を取ろうとしていたくらい。
- 相当プレッシャーがかかっていたことが分かりました。
- 入院中にその会社は退職。
- 何ヶ月もの入院生活を経て、ようやく回復の兆しが見えてきました。
- 更に時が経過し、彼はなんとか別の会社にて社会復帰。
- 今は「前の会社と社風が全然違い、とても快適だ」と、家族と共に生き生きと生活しています。
彼は非常に頭脳明晰なのですが、そんな彼でも途中で「このままではまずい」とは思わなかったようです。
むしろ、だからこそ「頑張ればなんとかなる」と考えるのかもしれません。
ツイッターやフェイスブックでも、ブラックな職場で理不尽な環境に悩みつつも、そこで頑張り続ける人を散見します。
途中から「環境を移動する方向」に切り替えるのって、簡単なようで意外と難しいことが分かります。
家庭環境はどうでしょう?
もしDV(家庭内暴力)があるのであれば「家庭」という環境すら移動を検討すべき対象かもしれません。
- 日本で診察をしていた時は地域柄か、昼間の時間帯は小さなお子さんとそのお母さんがいらっしゃることが多かったです。
- そのクリニックでは10年以上働いていたので、長い患者さんとは診療の合間に色々な世間話をするようになるのですが、少なからずDVを受けている話を聞きました。
- 旦那さんも来院されていることが多かったので「え!あの感じのいい人が!?」と、家庭内での裏の顔に驚かされることもしばしば。
- たまに顔にお化粧をしても隠しきれないようなアザを作って来院される方もいらっしゃいました。
- でも「離婚も考えるけど、子供も小さいし、経済的に依存しているので一歩踏み出せない」とおっしゃる方がほとんどでした。
- 僕に何か出来ることはないか?と考えたこともありますが、中途半端な気持ちで手を出せる問題ではありませんでした。
でも、中には離婚に踏み切った方もいて、
色々と大変そうではありましたが、それはそれは清々しい雰囲気でした。
生きるのが苦しい環境ってありますよね。
- いじめ
- DV
- パワハラ
- モラハラ
- 通勤ラッシュ
- 長時間労働
- サービス残業
- 単身赴任(僕は会社にそこまでさせる権利があるのか?と思ってます)
他にもまだまだ沢山あるでしょう。
色々不満はあるけれど、
- きっと自分がうまくできていないからだ。
- もっと頑張ればなんとかなるかもしれない。
- 自分でこの環境を選んだのだから受け入れよう。
- なんとか生活できているし我慢しよう。
こんな風に考えながら頑張っている人がほとんどだと思います。
原因は自分?それとも環境?
でも、苦しいと感じる環境を客観的に見ると実は「自分が原因」ではなく「相手の都合」であることがほとんどです。
かと言って、
- 真っ向から向き合って現況を変えようとしても自分がすり減るばかり。
- ほとんどの場合相手は変わりません。
「だったら自分が変わった方が早い」という考え方もあるでしょう。
とてもいい考え方だと思いますが、自分が原因ではないので「その環境を受け入れる」という方向に自分を変えるべきではありません。
その代わりに「自分のいる環境」を変える=移動するんです。
表裏一体の「逃げ」と「挑戦」
- 「それは逃げでは?」
- 「ちゃんと現状と向き合わないと!」
と言う人もいるかもしれません。
でも、なんで逃げてはいけないんでしょうか?
逃げて全然良いんです!!
- 「いじめ」から逃げるのであれば転校を考えるべきかもしれません。
- 「DV」から逃げるのであればきっぱりと離婚する必要があるでしょう。
- 「パワハラ」「モラハラ」「通勤ラッシュ」「長時間労働」「サービス残業」「単身赴任」から逃げるのであれば職場を変える、もしくは起業しなくてはいけないかもしれません。
逃げるためには
- 良くも悪くも慣れ親しんだ環境から離れる勇気
- 逃げる先にある未知の新しい環境に飛び込む勇気
この2つが必要です。
「逃げ」はむしろ立派な「挑戦」と言えるでしょう!
字が似てるのも何だか不思議ですよね。
※「逃げと挑戦」のさらなる考察は、前出の田村さんのこちらのページをご参照ください^^。
自分の感覚は大抵正しい
- 学校を変える
- 職場を変える
- 仕事を変える
- 所属するグループを変える
- パートナーを変える
- 住む国を変える
環境を移動すると全てがガラッと変わります。
すると、
- 以前の苦しさは何だったんだろう?
- 自分は自分のままで良かったのだ。
と気が付きます。
- 「頑張ってるのになんか辛いな」
- 「何だか理不尽だな」」
と感じたら、その感覚は間違っていないことがほとんどです。
自分の感覚を信じ、さっさと自分が生きやすい環境に移動してしまいましょう。
「自分に合った新たな環境を探す挑戦」として捉え、胸を張ってその環境から抜け出すのです。
お伝えしたいこと「まとめ」
- 自分の子供も含め、これからの厳しい世の中を生きる皆さんには「さっさと逃げる」という選択肢をいつも持っていて欲しいです。
- 「逃げる過程」で大変な時期もあると思いますが「人から押し付けられた苦労」ではないので、高いモチベーションを持って乗り越えられるでしょう。
- 本当の意味での「逃げ」は「辛いのに逃げずにその場に留まること」かもしれません。
※「人から押し付けられた苦労」に関しては以下に書いてみましたので良かったらどうぞ。
社会人になる前の皆さんへ
きっとこのブログ読者の方は社会人の方が多いので、移動しようと思えばご自身で動ける方がほとんどかもしれません。
でも、社会人になる前の方だと「そうは言っても親が理解してくれないと動けない!」となるでしょう。
その場合は
- 親御さん
- 親戚のおじさんおばさん
- 学校の先生
- 専門のホットライン
- 警察
等を含め、まずは感じていることを話してみるところから始めてみましょう。
数を当たれば同じ感覚で理解してくれる人が必ず現れるはずです。
親の立場から
更に若い小学生や中学生だと、小さい頃の僕のように「そもそも我慢をしているのか」すら自分では分からないかもしれません。
お子さんがいらっしゃる方は「親」という立場から「自分の子供はどうだろう?」と考えてみるのもいいと思います。
- もし自分の子供が楽しくなさそうに学校へ行っていたら、理由によってはすぐに転校も考えます。
- その雰囲気を感じ取れるくらい、そしてそれを話し合えるくらいの関係は子供と築き上げておきたいです。
- そのためには「一緒に過ごす時間の質と長さ」ってとても大事だなと最近思います。
- 時々話をして「学校はどうだ?」では本音なんて出ないですよね。
追記:僕がオーストラリアへ引っ越したのも「逃げ」でした。
「オーストラリアで歯科医師免許を取ってみたい」と友人達に相談をした時に
- 「それは逃げじゃないのか?」
- 「地に足をつけて取り組むべきことが他にあるだろう?」
と言われました。
確かに逃げたい気持ちはありました。
- 「理想的な治療をしたい」と思って週末を家族と過ごさず、多額の費用を使って勉強会に参加しても「保険診療の縛り」があり、なかなかその知識を活かせないことが多かったのです。
- 「それは患者さんにその治療の良さを理解してもらう努力が足りないんだ」という意見はもちろんあると思うけれども、患者さんからすると「いつも高いものを勧められる」と感じる面もあると思うんです。
- この「保険診療と自費診療のジレンマ」は歯科医師として10年以上働いても払拭できませんでした。
その環境からの「逃げ」です。
でもひっくり返せば
「保険診療の縛りのない環境」で「歯科医師として働けるようになる」という挑戦でもありました。
逃げた結果、予想外の副産物が…
逃げた結果、環境がガラッと変わり、メインの目的を果たせただけでなく、副産物として意図せずその他沢山のことが変わりました。
- ワークライフバランスが改善
- 長期休暇が取りやすい
- 通勤ラッシュはぐっとマイルド
- 年金制度がとてもクリアなので払い甲斐がある
- 相続税ない
- 原発ない
- 地震ない
- 緑が多い
- 空気がきれい
- 子育てしやすい
- 政治家がプロンプターを読まず、全部自分の言葉で質問に答える
- テレビ等のメディアが国民寄り
ここまでは望んでいなかったのですが、逃げた=挑戦したご褒美と思っています^^。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がありますが、「陽当たりが良くて肥沃な土地を選んだ方がずっと咲き易い」のではないでしょうか。
Jump the border!!
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