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お母さん、沢山の大きな愛をありがとう。

2018年9月4日 By Dai Ando

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Last Updated on 2020年1月2日 by Dai Ando

“点滴であちこちが青あざになっているけれど、美味しいご飯を沢山作ってくれた母の手と / ICUにて”

2018年8月10日午後8時41分

病院のICUにて、愛する母が亡くなりました。

まだ71歳。

原因は、皮膚筋炎+合併症の急速進行性間質性肺炎という自己免疫疾患。

聞いたことのない病気でしたが、他の病気が優しく思えるほどに残酷な難病でした。

このブログの主旨からは外れますが、この気持ちと向き合わずには前へ進めない、そう感じたので、少しだけ文字にする事にしました。

 

亡くなる約1ヶ月前の6月27日

母は歯の治療を受けるため、父と共に僕の勤めるクリニックに来院していました。

大学を卒業してから、両親はずっと僕の患者さんでした。

4年近く日本を離れメルボルンで過ごしていた僕にとって、日本にいる今は再び両親の治療をすることが出来る恰好の親孝行チャンス。

  • 午前中最後の時間に予約を取って、治療が終わったら近くの定食屋で一緒にお昼ご飯。
  • 父母お気に入りのクリニック近くのトンカツ屋さんで、二人はビールと共に厚切りロースカツ御膳を頬張る。
  • そのあとカフェへ移動し、のんびりとコーヒーを飲みながら近況報告。

これがいつものパターンでした。

治療が終わると、

  • わざわざ来てくれてありがとう。
  • 治療お疲れ様でした。

そんな気持ちを込めて僕は母と握手をします。

ハグもいいのですが、お互いに気恥ずかしいので握手くらいが母と僕にはちょうど良かったんです。

でも、その日の母は握手をすると痛がりました。

手をよく見ると”あかぎれ”のようになっていて、バンドエイドがいくつも貼ってありました。

漬物好きの母は、”糠床の混ぜ過ぎかしら?”と言っていましたが、今思えばそれが皮膚筋炎の症状だったのです。

あれからまだ2ヶ月しか経っていないのに、元気にトンカツを頬張りビールを飲んでいた母にはもう二度と会えません。

あまりの急激な変化に、僕は未だ現実をうまく受け入れることが出来ないまま。

それなのに、まるで何事もなかったかのように日常が押し寄せてきます。

どうやってこの悪い冗談のような現実と共に生きて行けば良いのか、まだ答は見つかりません。

 

脳血管系の疾患が多い母の家系

何度も何度もしつこく説得して、ようやく母は脳ドックを受けることになりました。

絶対に何かあると心配していたのです。

するとやはり脳動脈瘤が見つかりました。

母は勇気を出して手術を受け、血管内からコイルで埋めてもらいました。

“お母さん、これで死ぬ理由がなくなったね”って家族みんなでことあるごとに喜んでいたのです。

まだまだこれからだったのに。

子よりも先に親が逝くのが正しい順序なのは分かるけれど、

いくらなんでもまだ早過ぎるよ、お母さん。

 

始まりは全身の倦怠感、酷い咳からでした。

肺炎が怖いのは知っているつもりだったけれども、母は年齢の割に若いから入院したら治る。そう思っていました。

それが間違いだと気付き始めたのは、入院中の母が酸素マスクを必要とするようになった頃でした。

どんな治療をしても一向に良くならず、むしろ急速に悪化して行ったのです。

僕たち兄弟3人と父は、可能な限り頻繁に入院している母を見舞いました。

結果、その悪化を日々目の当たりにすることになりました。

肺以外の臓器は全ては正常なので、母の意識はずっとはっきりしていました。

それなのに肺胞はどんどん繊維化し、酸素を取り込めなくなるのです。

 

止まらない悪化、無力な自分

少しでも近くにいて応援したい。支えたい。そう思っているのに、僕らが近くにいること自体が母に負担をかけてしまう程に母の病状は進行しました。

ただ近くにいるだけなのに、経皮的動脈血酸素飽和度 (SPO 2 )の数値が急激に低下してしまいます。

気遣いな母は、僕らに声をかけようとして血中の酸素を使ってしまい、余計に具合が悪くなってしまうのです。

僕らが出来ることは

  • 朝から病院へは行っているけれども、交代でICUに顔を出し、負担にならないようにこっそりと後ろから様子を観る。
  • モニターの数値がいい時にだけ、ほんの少し声をかける。
  • それ以外は待合室で祈る。

残念ながらこれくらいしかありませんでした。

辛い時だからこそ母のそばに居たかったのに、それさえ叶わない。

母の病状はどんどん悪くなるのに、近くにいるけれど何も出来ない自分。

その無力さに打ちのめされる、地獄にいるような毎日でした。

 

とうとう食事さえも…

同じ理由で、ある日から母は食事も出来なくなりました。

食事があんなにも酸素を消費するとは…。

そして、むせやすくなりました。

一度でもむせると、もう見ていられないくらいに苦しそうなのです。

  • 肺胞が繊維化してしまう病気なので、呼吸の効率はどんどん悪くなる。
  • 身体はその分を呼吸の回数と心拍数を増やすことで補おうとする。
  • 常に運動した直後のような呼吸数に心拍数。

でも、得られる栄養は点滴からだけなのでどんどん痩せて行く母。

食べて欲しいけど食べて欲しくない。

なんで母はこんな残酷な病気にかかったのだろう、と思わざるを得ませんでした。

 

あと数日

ICUに入って数日経ったある日、担当医から、

  • もしかしたら今日か明日かもしれない。
  • 来週の今日を迎えることは難しいでしょう。

そう言われました。

血の気が引き、全身から力が抜けました。

  • 末期癌だって余命半年とか数ヶ月くらいはある。
  • そうではなくて数日?
  • ちょっと前まで一緒に飲んでたのに。
  • 本当に母の話?

それがたとえ本当の話だったとしても、そんな話を信じたくない僕らは、奇跡が起きることを祈るしか出来ませんでした。

 

大きな大きな母の愛

母は1つ1つの呼吸を集中して必死に行なっていました。

本当に苦しそうでした。

細いストローからの呼吸で生命を維持するようなものだったのでしょう。

いや、それすら贅沢な状態だったのかもしれません。

そんな状態でも、ICUに顔を出すと

  • “あんた達、そんなに痩せちゃって…”
  • “ちゃんと食べてるの?”
  • “お母さん頑張るから、今日はもう帰って休みなさい”

と、母は僕らの心配をしました。

どうしてあんな状態なのにそれでもまだ人の心配をするのだろう。

本当は自分でも回復出来るのか分からず怖かっただろうに…。

深い深い母の愛。

何度思い出しても胸が苦しくなる。

母というのはなんと大きな愛を持った存在なのだろう。

 

罪悪感

僕ら家族はみんな、食事はもちろん呼吸が出来ることにも罪悪感を持ちました。

自分の肺はこんなにもスムースに酸素を取り込めるのに、母にはしたくてもそれが出来ないのです。

“母に僕の肺を半分あげたいです”

主治医にそう伝えたけれども、”今はもうその段階ではない”とのことでした。

酸素に満たされた血液を送ることが出来れば母は死ぬ必要がないのに、それが出来ない。

僕の動脈を母の動脈に直接繋ぎたい。

母の横たわるベッドの横で何度そう思ったことか…。

 

羨ましい光景

待合室で何度も見かけた退院する患者さんとその家族。

“も~!びっくりしたわよ~!!”と言いながらも、とても嬉しそう。

母もあんな風に一緒に退院出来たらいいな。

だから母の手を握りながらずっと祈っていました。

  • “神様、お母さんはもう十分苦しんでいます”
  • “そろそろお母さんを助けてあげて下さい”
  • “なんにも悪いことはしていないんです”
  • “一緒に家に帰りたいです”

あんなに強く、そして何度も祈ったことはありません。

 

病室までの辛い道のり

  • 駅から病院への道を歩き、
  • 病院入ってからICUまでの長い廊下を抜け、
  • ICUのインターホンを鳴らして、
  • 二重の自動ドアを抜けて、
  • 母のいるブースの前で恐る恐る酸素濃度や呼吸数のモニターを見る。

一人必死に頑張っている母の近くへ行きたい。なるべく早く行きたい。

けれども、日に日に悪化する現実を目の当たりにすることは恐怖でした。

それが意味することは1つだから。

どんどん苦しくなる母のいる病室への道のりは、本当に本当に辛かったです。

 

最悪で最高の日々

道のりも辛かったですが、辛そうな母を見るのはもっと辛かったです。

  • 辛い母が目の前にいるのに何も出来ない。
  • まさに身を切られるような思い。
  • でも母一人寂しく辛い思いはさせたくない。
  • だからせめて一緒にいる。
  • 辛い母を全て余さず脳裏に刻み込んで、その辛さを可能な限り共にする。
  • そして手を握りながら祈る。

逃げ出したくなる悪夢のような毎日。

それでも温かい母に触れることが出来たかけがえのない日々。

ICUに移ってからの母はいつも朝方調子が悪く、

”状態が悪くなっていますので急いで病院へ来て下さい”

という早朝の病院からの電話に、何度も文字通り泣きながら病院へ向かいました。

もう二度とあんな思いはしたくない。

今でも携帯が鳴るたびに心臓が飛び出そうになります。

 

でも、祈りは届きませんでした。

目の前で徐々力を失う母の命。

呼吸が、心臓が力尽きようとしている。

まだ別れたくないよ、お母さん…。

母は最後の瞬間まで家に戻ることを諦めませんでしたが、ICUに移ってから一週間後の8月10日午後8時41分、僕らの前で息を引き取りました。

僕を生んでくれた母。

それからずっと一緒に居た母の死。

少し前に一緒にトンカツ定食を食べたばかりなのに。

全然元気だったのに。

まだまだずっと先のことだと思っていたのに。

あまりに非現実的。

 

日常に散りばめられている母の面影

日本でもメルボルンでも、僕は朝の通勤時間、ちょくちょく母に電話をかけていました。

何か用がある訳ではないのですが、とりあえず電話をかけるのです。

なので、今も朝家を出ると反射的に、”あ、お母さんに電話しようかな!”と思うのですが、その相手はもういないことに気が付きます。

スーパーへ買い物に行けば、母の好きだったマカロニサラダなどのおつまみが目に入ります。

野菜や肉などの食材を見れば、色々と料理してくれた母を思い出します。

母の大好きだった多摩川の花火大会、お花見…。とにかく季節ごとのイベントは家族皆が集まる機会だったので、母はいつも大張り切り。

うちの宴会部長でした。

母を思い出すトリガーは、僕の生活習慣の中に、あらゆる場所に、全ての季節に散りばめられています。

 

美味しい母の手料理

実家へ行くと、母は僕らにご馳走を食べさせようと朝から晩までずっと台所に立ちっぱなし。

僕らにとっては懐かしいおかず達が、毎回食べきれないほど食卓に並びます。

たまに実家に泊まると、次の朝は僕の大好きな定番朝ごはんのおかず達が何種類も、何日分にもなるくらい用意されています。

食べているのに、”もっと食べなさい、全然食べてないじゃない!”って子供達にいっぱい食べさせたい母。

そんな母の手料理はもう二度と味わえません。

 

乗り越えたくない困難

僕がこれまで向き合って来た困難は、努力や運でなんとか乗り越えることが出来る類のものでした。

仕事、お金、人間関係。

たとえどんなに大変だとしても、希望を持つことくらいは許されます。

しかし母の死は、どんな努力を持ってしても変えることが出来ない絶対的な事実。

母が生き返る可能性はないのです。

残念ながらそこに希望はありません。

  • あとは僕がそれを受け入れるか、受け入れないか。
  • 受け入れるなら今なのか、まだ少し先なのか。

ただそれだけ。

これまで色々と心の勉強をして来た僕は、その事実を受け入れて、今この瞬間から元気な自分を演じて日常生活を送ることは出来ます。

でも僕はまだまだ母の死を悲しんでいたい。

乗り越えたくない。

街に沢山いらっしゃるお年寄りのように年を重ねられなかった母のことを想い、暫くは落ち込んでいようと思います。

 

お母さん

今どこにいるのかな。

メールも電話も出来ない。

お母さんのいない地球は寂しいよ。

ずっと想ってはいるけれど、ちっとも姿を現さない。

供えたビールも全然減らない。

お母さんが僕のところに姿を現さないのだから、余程難しいことなんだろうね。

だからブログに書いてみたよ。

もしかしたら読んでくれた人の中にすごい能力の持ち主がいて、お母さんに伝えてくれるかもしれないから。

今回一番驚いたのはお母さんかもしれないね。

せっかく医療系に育ててくれたのに、助けてあげられなくて本当にごめんなさい。

悔しくて悔しくて仕方がないよ。

お母さんも悔しかったよね。

もっともっと生きたかったよね…。

これまで僕を育ててくれて、本当にありがとう。

“(僕を)育て上げた親御さんに会ってみたい”

誰かにそんな風に言って貰えるような人生を送ってから会いに行くので、ちょっとだけ待っててね。

 

初めて目の前にした人の死。

圧倒的な恐怖の対象であった死を、母は僕に見せてくれました。

“ほら、怖くないのよ”って。

生きている母の最後の教え。

そして、死の先には優しい母が待っています。

人はこうやって徐々に死に近付いて行くのかもしれません。

 

ここまで読んで下さりありがとうございます。

医療従事者として今回の件を通じて、

初期の病院選びが非常に重要だと感じました。

一度入院してしまうと、転院がここまで大変だとは知りませんでした。

  • 入院してから病院や担当医、その治療方針等に不満を持ってから色々調べ、
  • 別の病院に転院をさせたいと思っても、
  • 治療の最中にそのようなことを担当医に伝え、より良い転院先を見つけ、実行するのはなかなか難しいことを痛感しました。
  • 残念ながら、医療の進んだ日本でも一定の割合で患者の立場で考えられないダメな病院、ダメな医者が存在します。
  • 担当医が自分が正しいと思う治療を実施している中で、その分野で素人の患者/患者家族が反論し、感情論だけでなく理論的にも転院の意図を理解してもらうのは非常に困難です。
  • 医療系ではない弟は、専門医が読む間質性肺炎の専門書を読破してからコンサルテーションに臨んでいました。
  • 急速に病状が悪化している最中だと尚更転院が困難になります。母はその頃酸素マスクが手放せない状況になっていました。
  • 加えて、転院先が元の病院よりも良いのか、その判断も非常に困難です。
  • 現在行われている治療の妥当性の判断、転院先の治療への信頼度、その両方が同じ方向に向かわないと、なかなか実際に移動するまで事を進められないのです。

病院を選ぶ目/見識がその人の命を左右するのです。

なので、このブログを読んで下さった皆さんは、もし入院する際には、

  • 近所だから
  • クリニックに紹介されたから
  • 大学病院だから

という理由ではなく、

少しだけでも時間を割いて、全国で一番その病気に力を入れている病院を探し、無理をしてでもそこに受診することを強くお勧めします。その際には家族の気持ちに先生を含めスタッフが寄り添ってくれているか、も大切な判断材料になります。

母の場合も、

  • もし転院が数週間早ければ、
  • もしくは転院した先の病院に初めから受診するだけの見識を僕が持っていれば、

今このようなブログを書かずに済んだかもしれないのです。

ご自身や大切な人が入院する際に思い出して頂ければ幸いです。

次からは元の内容に戻りますので、これからも”越境人生応援ブログ”宜しくお願い致します。

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ブログ管理人プロフィール

 Dai Ando (@dai_lockwood)

1973年神奈川県川崎市生まれの蠍座AB型。

日本&オーストラリアの歯科医師免許+オーストラリア永住権を持つ越境医療人。

40代なのに海外で24ヶ月間の無収入生活を経験。

英語は”ペラペラ”というよりは、”伝われば良し!”の機能性重視実戦型。

うつ病の既往歴を持つ、元ライフル射撃国体上位入賞選手。

大好きな歯科医師の仕事はもちろんのこと、妻と共にOnline course creator として会社を立ち上げ、新たな分野に挑戦中。2024年末にメルボルンにて歯科クリニック開業予定。

自分の限界、常識、世間体、職業、言語、国、その境界を自分の意思で乗り越える、”越境人生”を現在完了進行形で実践中。

3歳+7歳の父/愛妻家でもあります。

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