Last Updated on 2020年1月2日 by Dai Ando
はじめに
挑戦をしていると、その道中必ず「自分の努力だけではどうにもならない場面」に「一度ではなく何回も」出くわします。
僕ら夫婦もメルボルン移住の過程で、何度も何度もそのような場面に出くわしました。
- 必死の努力
- 蓄積された経験
- 粘り強い精神力
そのどれを持ってしてもどうにもならない大ピンチ。
そんな時に助けてもらったのが「運と縁」。
これらを抜きにしては、この挑戦を生き残れませんでした。
この経験を通じて、挑戦というものは「素質+経験値+努力+タフな精神力」×「運+縁」で初めて結果が出るのだ、と痛感しました。
ポイントは「足し算ではなく掛け算」であるところ。
いくら自分が頑張っても「運や縁」がゼロでは結果もゼロになってしまうのです。
これまでの記事
これまで越境人生応援ブログでは、何か新しいことに挑戦する時に目の前に立ちはだかる「心のハードル」の高さを下げ、はじめの一歩が踏み出し易くなる考え方をいくつかご紹介しました。
例えば…
- 挑戦となるとついつい構えてしまう方にオススメの「挑戦のハードルが下がる考え方」シリーズ
- 意志が弱いから一歩踏み出せない〜!という方に読んでもらいたい「意志の強さに依存しない挑戦アプローチ法」シリーズ
- ちょっと挑戦への気持ちが弱った時に読むと元気が出る「勇気をくれた言葉たち」シリーズ
などなど。
- 「素質+経験値+努力+タフな精神力」×「運+縁」=「結果」
- 「素質/経験値/努力/タフな精神力」=「自分内の要素」
- 「運/縁」=「自分を取り囲む環境からの要素」
だとすれば、これらの記事は主に、挑戦の基礎となる「自分内の要素」について書いてあります。
今回は、それと同じくらいに大事な「自分を取り囲む環境からの要素」である「運と縁」。
特に「縁」の大切さについて書きたいと思います。
(このように書くと、もしかしたら「やはり人脈作りが大切なのか!」と思われるかもしれませんが、ポイントはそこではなく「縁あって繋がった人との関係を大切にすることの重要性」について書いています)
運と縁の関係
私たちはただ理由もなく誰とでも繋がるわけではなく
- たまたま横に座った。
- 同じクラスだった。
- 困ってそうだったから声をかけた。
そんなきっかけが縁となり、人と繋がります。
良い繋がりが出来た時はきっと
- この人とは「縁」がある。
- この人と出会えて「運」が良かった。
などと表現すると思います。
自分の経験を振り返ると「運が良かった」出来事の
- 8割は人との繋がり=縁が作ってくれた機会
- 2割は純粋な運=偶然/奇跡的な機会
図にするとこんな感じです。
同義語ではありませんが、運と縁はかなり近い関係にあるのではないでしょうか。
助けてくれた縁をいくつか…
冒頭で「運と縁に支えられ移住の大部分を乗り切ることが出来た」と書きましたが、きっとイメージが湧きにくいと思うので、ここ数年で僕らが経験した「縁」をいくつか紹介させて下さい。
メルボルンに到着した2013年に初めて参加した歯科インプラントのレクチャー会場で、緊張し切った僕に真っ先に声をかけてくれたおじさん
- 現在のボス。
- 声をかけてくれた上に「隣に座れ」と席を空けておいてくれ、しかも帰りは家まで送ってくれました。
- 出会ってからはレクチャーに参加するたびに顔を合わせ、ただの無職アラフォー語学留学生の僕をきちんと歯科医師扱いしてくれとても嬉しかったです。
- 2015年にオーストラリアの歯科医師免許を取得した際にはどこよりも良い条件で仕事をくれた上に、永住権のスポンサーまで!
- ずっと「いい友達」と思っていたので、就職から永住権までサポートしてもらうことになるとは夢にも思いませんでした。
留学前に一度お会いし相談に乗ってもらった語学学校のアドバイザーさん
- その後、右も左も分からない僕の留学初期生活を支えてくれたのはもちろんのこと、
- 語学学校卒業後も要所要所で必要な人を紹介して下さいました。
- 法律が変わり諦めかけていた永住権を手に入れる道筋を発見出来たのも、この方が出してくれた助け舟のお陰です。
実技試験会場内を小走りで移動する僕を「君、動きが良いね!」と褒めてくれた試験官のおじさん
- レントゲン撮影の試験中に組み立て式の器具を床に落とし、焦って組み直し使っていた僕に再三、「君、それで良いのかい?」僕「はい!」「本当にそれで良いのかい?」「はい???」となり、器具を間違えて組み直していたことに気が付く。
- そのまま撮影していたら必要な範囲は写らず、レントゲン試験を落としていたことは確実。
- 実技試験の結果はギリギリ合格だったので、もしその科目を落としていたら確実に不合格でした。
- 高額且つ年2回しか開催されない試験なので、半年待って2回目を挑戦する経済力はその当時なく、人生の明暗を分けるアドバイスとなりました。
筆記試験対策コースの時にたまたま隣に座ったイラク人クラスメイト
- 英語がままならない僕に「一緒に勉強しないか?」と声をかけてくれ、その日からコース放課後に一緒に勉強開始。
- 彼は対策コースの講師と仲が良かったこともあり、試験までの間その講師のプライベートレッスンを一緒に受けられることに。
- このレッスンなしに筆記/実技両試験のストレート合格はありませんでした。
実技試験対策コースの時にたまたま隣で練習していたイラン人クラスメイト
- 実技試験の練習には歯を削る機器など沢山の器具が必要だが、僕はそれを持っておらず、コース終了後どうやって練習を継続しようと悩んでいたところ「自宅に機材が全て揃っているのでコースが終わった後も試験まで一緒に練習しよう」と声をかけてくれました。
- 後々なぜ僕に声をかけてくれたか話を聞くと、他のクラスメイトの手技を全部見た上で、僕を選んでくれたとのこと。
- 実技試験合格の大きな大きな助けとなりました。
お世話になった方は他にも沢山いらっしゃるので割愛しますが、
共通しているのが「この人は先々助けてくれるだろうと期待して積極的に作ったいわゆる”人脈”」ではなく「たまたま縁があって繋がった方々」であること。
偉そうにこんなことを書いていますが
僕だって人間です。
40を目前に始めた挑戦なのでやっぱり失敗したくありませんでした。
事前に色々調べて、きっとこの人と繋がっていたら何かあった時に助けてくれるかも!?と淡い期待(下心?)を抱き自ら繋がっていった方も何人かいらっしゃいます。(大体は大御所の方々)
そのような方々には、そもそもの挑戦のきっかけだったり、モチベーションの維持だったり、長期的な観点で大いに支えて頂きましたが、いざ目の前に現れたピンチの数々を救ってくれたのは彼らではありませんでした。
ちょっとした行為に宿る力
挑戦がひと段落したある日「助けてもらってばかりだった僕が逆の立場になる」という興味深い経験をしました。
自分と同じように、メルボルンでの医療系資格取得を目指し、数年共に頑張った友人Aさんとの体験です。
Aさんは医療英語コースのクラスメイトで、非常に頭が良く、いつもウイットに富んでいて、とてもフレンドリー、しかも親切で男前。
僕が医療英語で苦労をしている時も、嫌な顔一つせずにコツを教えてくれたり、慣れない環境で寂し思いをしている僕たちと家族ぐるみでお付き合いをしてくれたり、いつもとても親切にしてくれました。
そんなAさんなのですが、ゴールへ向けて大変な努力を重ねるも、メルボルン撤退の危機に陥ったことがありました。
大好きなAさんの苦境でしたので、何か出来ることはないか?といつも考えていました。
そんなある日、以前参加したバーベキューで出会った、メルボルンで医療系の研究をしている知り合いBさんと偶然電車で会いました。日本へ本帰国することになったので、その送別会の帰り道とのこと。
道すがら研究内容に関して伺っていると、何とAさんと同じ専門領域の方であることが発覚。
早速Aさんの話をしたら「是非帰国前に一緒にお茶を^^」という流れとなり、帰国直前に3人でカフェに集まり2人を繋げることが出来ました。
それからしばらく経ったある日
医療英語クラスの同窓会で久しぶりにAさんと再会。
顔を合わせるとすぐに彼は「実はダイにお礼を言いたかった」と神妙な顔で言い、こう続けました。
「あの時のBさんとの繋がりがきっかけでメルボルンに居られることになった!」
「え〜!!!!!?」
僕は驚愕すると共に、彼の苦労がようやく身を結んだことが非常に嬉しくて2人で暫しホロリとしてしまいました。
どうやらBさんの所属していた研究室のボスは、その分野では世界的権威の教授だったようで、AさんはBさんを通じて研究室の見学をするようになり、そこでその教授に気に入られ残ることになったようなのです。
この夜はAさんから過分な言葉を沢山もらったのですが、僕がしたことは大変な苦労を伴うことでも何でもなく、ふと思い付いて人を紹介しただけ。
「いやいやいや、そんな大したことしてないです><。Aさんだったからだよ~><」と恐縮してしまうばかり。
ここで僕は「ハッ!?」と思い出しました。
僕がお世話になった方々に感謝の言葉を伝えた時の彼らの反応を。
- あの時助けてくれたおかげで今の僕がある。
- こんなに親切な方に出会えて僕はなんて運が良かったのだろう。
そうお伝えすると皆さん一様に
- 「いやいやいや、それは言い過ぎ」
- 「運が良いというよりはダイだったからだよ」
と、自分たちが特別親切だった訳でも、僕が特別運が良かった訳でもない。そうおっしゃったのです。
僕の人生を大きく好転させたという認識を、全くと言って良いほど持っていないことが非常に印象的でした。
「ああ、彼らはこういう気持ちだったのか!!」
神妙な気持ちになると同時に、とても衝撃的な体験でした。
あの「人を繋げる」というちょっとした行為に、誰かの人生の方向性を変える力があったのです。
Aさんは3年も前から「こうなること」が分かっていたから僕に親切にしてくれていたのでしょうか?
そんな訳ありません。
根っからのそういう方なのです。
まとめ
自分のことを色々と書きましたが、決して「運が良かった」「縁に/人に恵まれた」「誰かを助けた」ことを自慢をしたかった訳ではありません。
- 挑戦中は「自分の努力だけではどうにもならない場面」に「一度ではなく何回も」出くわす
- それを乗り越えるには運や縁が必要
- 「素質+経験値+努力+タフな精神力」×「運+縁」=「結果」
- 掛け算なので、いくら自分が頑張っても「運や縁」がゼロでは結果もゼロになる
- 「運が良かった」と思った出来事の8割は人との繋がり=縁が作ってくれた機会
- 運と縁はかなり近い関係にある
- 助けてくれた方々は「たまたま縁があって繋がった方々」
- 先々助けてくれるだろうと期待して積極的に作った、いわゆる”人脈”ではない
- 助けて下さった方々は、相手の人生が大きく変わるような手助けをした認識をあまり持っていない
- 「自分のちょっとした行為」が「相手にとって人生を変えるほどの機会」になる可能性がある
どれだけ入念に計画を立て準備し、どれだけ必死に努力したとしても「人の助け」なしには物事は成し得られません。
そして、人生を左右するピンチに陥った時に助けの手を差し伸べてくれるのは、現時点では想像すら出来ない人達です。
まだ出会ってすらいない人かもしれません。
高い確率で「先々助けてくれるだろう」と予想し自ら繋がった方々ではないでしょう。
先のことは誰にも分かりません。
- あなたは、相手がどんな人なら力になりますか?
- また逆に、どんな人なら力になりませんか?
挑戦をする中で、最良の結果を得るために私たちが出来ることは
- 目標に向かって日々努力をしつつ
- 縁あって出会った目の前の人を大切にして
- 気にかける/声をかける/話を聞く/人を繋げる/少し手伝う/など
- 何か出来ることがあれば、ほんの少しのことでもいいので力になる
これくらいなのかもしれません。
ある本に「運とは、準備が機会に出会ったときに起こる現象である」と書いてありました。
機会は縁を通じて受け取ることが非常に多いので、やはり「縁あって繋がった人との関係を大切にすること」が運をもたらしてくれるのでしょう。
最後に:人脈作りに関して
意図して繋がった人との縁を大切にするのであれば、大いに賛成です。
僕も自分がメンターだと感じた方には直接会ってお話を伺うようにしていますし、その関係をとても大切にしています。
しかし時々「人脈を広げること」ばかりに力を入れている人を見かけます。
「広げた人脈を自分のゴール達成のため如何に利用するか」に重きを置いているので
- 力になってくれそうな人を探し
- 繋がった瞬間から一方的に自分の求める情報を求め
- その人の人脈の中に土足で入り込み
- 他にも使えそうな人はいないか、貪欲に探し回り
- 必要な情報を得た、もしくは得られないと分かったらスッと姿を消す
- 「助けてくれるのが当然」という考えなので、広げた人脈を大切しようという考えは希薄
- Give & Takeで言えばTakeばかりで打算的
この「人脈広げて自分の良いように利用作戦」は、一時的には効果を発揮するかもしれません。
しかしこのような振る舞いでは困った時に手を差し伸べてくれる人は少ないでしょう。
せっかく目標に向かって一生懸命頑張っているのに、これは非常にもったいないです。
一度人脈を広げてしまえば、それも縁です。
大切にせず私利私欲のためだけに使ってしまえば「縁→運」の力は逆方向に働き、その人脈が効率的に行先を閉ざすものとなるでしょう。
よって、もし人脈を作るのであれば、大切に大切に扱うことを大前提として動くべきだと考えます。
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