Last Updated on 2021年11月1日 by Dai Ando
はじめに
海外へ出かけて、
“楽しかった〜!”
“でも不便だったな”
“やっぱり日本が一番!”
よくある感想だと思います。
今回はその”不便さ”の裏側を紹介したいと思います。
便利から不便への引越し
2013年の夏。
僕ら夫婦は日本での生活に一旦終止符を打ち、オーストラリアはメルボルンのBrunswickに引っ越しました。
南半球のメルボルンは真冬。
なので、夕方になると外はかなり暗くなります。
お店は早仕舞
まだ午後5時過ぎなのに街がやたらと暗いなと思っていたら、ほとんどの商店が閉まっていることに気が付きました。
しかも後日、週末もあまりお店が開いていないことが発覚。
商店が8時〜9時まで普通に開いている日本。
そこから引っ越して来たばかりの僕らは、
“ああ、寂しくて不便な所に来てしまった…”
と、かなり落ち込みました。
(誤解の無いよう付け加えますと、Brunswickはメルボルンの中心街にほど近い、とても人気のあるエリアです)
再配達は致しません
そんな気付きがあった数日後、日本から船便で送った引っ越し用の大きなダンボール3つ届くことになっていました。
そこには生活必需品が沢山入っており、到着を心待ちにしていたのですが、受け取りの日に僕らは語学学校があり、受け取れませんでした。
“仕方がない。再配達してもらおう!”
と思ったら、なんと、そんなシステムは存在しませんでした!!(2013年時点では)
一発勝負なんですね><!!
次の休みに郵便局へ荷物を取りに行くと、局内に併設されている文房具屋の廊下に無造作に置かれたダンボールが3つ!!
商品棚の目の前に置いてあるので、お客さんたちは僕のダンボール越しに商品を取っていました(笑)。
大切なものが沢山入っているのに、このぞんざいな扱い…。
電車はフレキシブル
電車は、予想通り日本のように正確ではありません。
遅れれば時刻表上でその電車がスキップされ、次に来る予定の電車として扱われることもあります。
もし時刻表より早く到着しても、発車時刻を待つことなく出発します。
途中で行き先が変更されることも珍しくありません。
ちゃんとアナウンスはされているのですが、英語が聞き取れなかった初期の僕は、
“何故ここに到着するのだ!?”
と混乱したものです。
店員さんは自由奔放
店員さんの対応も様々、ユニークです。
日本のような対応をするところもありますが、私語や携帯をいじるのは割と普通です。
そして、閉店時間が近づくと一生懸命に掃除を始め、時間きっかりに帰ります。
“時間が来てから掃除”、ではありません。
外食は高め
外食をすると、とても高いと感じます。
朝ごはんをカフェで食べると、コーヒー含めて平均して日本円で1800円はするのではないでしょうか。
生ビールは1杯(1pint=568ml)で900円~という感じ。
基本的に、人が関わるサービスはとても高価です。
何を基準に比較するか
貯金を切り崩しながら生きている無職の僕らには正直かなりツラい…。
“なんて不便で物価の高い国なんだ!”
便利で安い国、日本から来た僕らは、しばらくそんな風に思っていました。
僕らがそんな風に思ったのは、日本と比較していたから。
いや、正確に言うと
日本を”基準”に比較していたからでした。
日本が普通になってしまっているので、それ以下であれば”不便”だし、それ以上であれば”物価高”なのです。
でも長く住んでいると、
段々”それ”に慣れて来ます。
- 商店が早く閉まるなら、週末に開いているお店でまとめ買いをするようになる
- 宅急便は、その時間に家に居て受け取れればラッキー
- 受け取れなくても郵便局留めだと思って、仕事帰りに寄ればそんなに面倒ではない
- 電車も、少し家を早く出れば問題ない
- 行き先が変わるのも、英語が聞き取れるようになればアナウンスに従って乗り換えればいいだけ
- 店員さんの対応は悪気なく、まあ自然体と言えば自然体(笑)
- 彼らが早く帰るのと同様、自分の職場も早く終わる
- だから郵便局にも寄れる
- 人が関わるサービスが高い分、自分の給料も高い
- ちなみにオーストラリアの最低賃金は日本円で時給約1500円以上(2017年現在)
- その国で給料がもらえるようになれば、物価はそんなに気にならない
- スーパーでの物価は、平均すると日本とそんなに変わらないように感じるので、むしろ相対的に物価は安く、暮らしやすい。
日本に戻ると逆にこんな風に感じます。
- こんな時間まで店が開いている
- こんな遅い時間まで働いているのか
- 週末も平日みたいに店が開いている
- 再配達って本当に便利!!
- だけれども、配達員の方にとっては二度手間になってしまうので本当に申し訳ない
- 電車がたったの1分遅れたからといって、駅員さんがわざわざ謝る必要があるのか
- 店員さんが誰も携帯を触っていないし、私語もない
- 外食安い
- でも給料も安い
サービス提供側=サービス受ける側
僕らは基本的に、仕事をしている時は何らかのサービスを提供しており、それ以外の時間はサービスを受ける側となります。
“サービスの提供側”であると同時に、”サービスを受ける側”でもある。
日本ではサービスを受ける側が尊重され、
その欲求を満たすべく、どんどん便利さが追求されています。
すると、
- 営業時間は長く
- 価格競争は激しくなるばかり
サービスを受ける側としては便利で安くて、とてもありがたい話です。しかし、
サービスを受ける側は、同時にサービス提供者でもある。
そのため、”便利さ”や”安さ”を追求する流れが発生すると、巡り巡って自分もそれを求められることになります。
- 長時間労働を求められ
- 給料は据え置き
- 場合によっては減給
“便利さ”や”安さ”に自分の首が締められるのです。
オーストラリアでは日本と反対に、
サービス提供側の立場が強いです。
確かに日本よりは不便だし、サービスは高価です。
でもその分、自分がサービスを提供する立場にある時、一般的に日本と比べて、
- 給与は高い
- 仕事が早く終わる
- 休暇が長い
- その分仕事の密度が濃い
- 再配達や厳密な時間配分などの(日本ほど)細やかなサービスを要求されない
ように、実際に働いてみて感じます。
“Work–Life Balance”
不便さの裏側には、来たばかりの頃には見えなかった”豊かさ”が隠れていました。
それは、”Work–Life Balance”とも言えるでしょう。
オーストラリアにいる人達は、家族との時間を含めこのバランスをとても大切にしています。
この”豊かさ”を守るため、意図的に便利さの追求をしていないのだ、と僕は感じました。
まとめ
日本では仕事が家庭よりも優先される風習が未だに残っています。
日本を離れていたこの数年の間に、日本にいる大切な家族、そして友人の何人かがうつ病となりました。
彼らのほとんどは、”第一線で働く社会人”であると同時に、新しい家族を授かった”お父さん”、”お母さん”です。
仕事だけならなんとかなる。でも、家庭とのバランスを取ろうとすると、途端に苦しくなる日本の社会。
日本を基準に見たオーストラリア。
はじめは不便さ、その先に豊かさが見えました。
もし、オーストラリアを基準に日本を見たら、便利さの先には何が見えるのでしょうか。
Jump the border!!
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