Last Updated on 2021年6月7日 by Dai Ando
背中を押してくれた田村さん
僕ら夫婦がメルボルンでの挑戦に踏み切るにあたり何人かの方に背中を押して頂きましたが、その中の1人が”APLaC“(Association for Pluralistic Life and Culture=多元生活文化研究会)というウェブサイトの運営者、田村さんです。
悩んでいた2012年…
当時38歳の僕は、結婚という大きな生活変化の中で、中堅の歯科医師として次のステップを模索していました。
とは言っても実は歯科医師の選択肢ってそんなに広くなくて、
- 勤務医で頑張るか
- 一歩踏み出し開業か
通常はこの2択が大半を占めるのだと思います。
僕も例に漏れずそこで悩んでいたのですが、「海外で歯科医師をしてみたい夢」がずっと心の片隅で燻っていました。
APLaC 田村さんとの出会い
そんな時にふと発見したAPLaC 田村さんのこの記事を読んで、やはり海外移住に向けて一歩踏み出そうと思い始めたのです。
「海外」という選択(その2)~日本離脱の理由、現地永住の理由
悩みに悩んでいた僕は、記事を読み漁った後、田村さんにメールを送りました。
2012年4月のことです。
APLaCとは/田村さんとは
”APLaC“(Association for Pluralistic Life and Culture=多元生活文化研究会)はどんなウェブサイトか、一言で表現するなら、
「日本を出たい/海外移住したいと思っている方必読の、経験に基づいた生々しい情報がみっちりと詰まった人生攻略データベース」
でしょうか。
田村さんは
- 日本で弁護士をされていたのですが、色々と思うことあり
- ”エイッ!!”っと日本を飛び出し、現在シドニー在住
- 恐らく20年以上に渡り僕のような迷える子羊の手助けをしてくれている稀有なお方
- 僕を含めファンが多く、田村さんが日本に戻ると日本各地でオフ会が開催されるほど
- 非凡な方で、何と言いますか、思考の次元が僕とは大分違うレベルある感じがします
当時は、悩みのキーワードをGoogle検索する度に、かなりの確率で田村さんのAPLaCにヒットし、
この人、只者ではない!!僕の悩みが全てバレている!!
と毎回驚愕したものです。
肯定してくれた”数少ないお方”の一人
40歳を目前に仕事を辞めて、メルボルンで歯科医師免許取得+あわよくば永住権/海外移住、というあてのない挑戦に踏み込もうとしていた僕は、あらゆる方面から反対の意見を頂きました。
田村さんはそんな中で肯定してくれた”数少ないお方”の一人。むしろ、
チャレンジというより全然普通のことです。
と、当たり前のことのように扱ってくれました。
こういう言葉が欲しかったのです。
そんな田村さんと僕のメールやりとりを「そのまま」公開
僕ら夫婦の挑戦が全て落ち着いた後、田村さんが
「他の同様な挑戦をしようとしている人の参考になるのではないか?」
と僕と田村さんのメールのやり取りをまとめて下さいました。
「そのまんま乗せてしまう大胆さ」がまた田村さんらしくて面白いなと思いましたので「僕の第一報とそれへの田村さんのお返事」だけここで紹介させて下さい。
続きは上記リンクからお読みいただけます^^。
26 Apr 2012 田村様 初めまして。
突然メールを送ってしまい申し訳ありません。
田村さんは僕がもやもやと心に抱えていた気持ちを明確に文章化されていたので、それに非常に感動し、まずは感謝の気持ちをお伝えしなくては!と思い、第一回目のメールを書かせて頂きました。
まずは簡単に自己紹介をさせて下さい。
現在38歳AB型男性、昨年ようやく結婚しました。
職業は歯科医師で卒後14年の勤務医です。
小さな頃から音楽が好きで、聴くだけでは飽き足らず、大学卒業後は仕事を頑張りつつコツコツ機材を買い集め音楽製作。
30歳が近くなった頃、音楽製作にどっぷり浸かる1年があって人生バチが当らないのではないかと休職を決意。
ならば日本にいなくてもいいのでは?ならば僕の大好きな音楽の主な生産地であるイギリスに行ってしまおう、ついでに外人の目もまともに見れないくらいにコンプレックスだった英語を克服しよう、と決め,貯金を始め2004年4月イギリスはロンドンへ。
素晴らしいホストファミリーと出会い、1年間ホームステイしつつ色々と必死に勉強し2005年3月帰国。
音楽はリリースの少し前のレーベルと契約の交渉段階まで行きましたが帰国と共にストップしました。
1年の留学で何かが自分の中で変わってしまい、その後の数年感は年々気持ちが落ち込んで行きました。
彼女も出来ず、職場での人間関係もうまく行かず、何のために生きているかも分からない。誰にも必要とされている気がしない。そんな事ばかりに気持ちをフォーカスしていました。
しかし、すべてがうまく行かず、とことん色々な事をあきらめ開き直った時に状況が変わり始めました。
ある日イタリア人の友人に相談した時に、そんな時は人を助けるんだと言われ、自分の仕事の素晴らしさを再確認し歯科の勉強に没頭する事となり、同時期ホストファミリーに相談しにロンドンへ行った時、空港からのバスで日本人女性出会い、その後僕の妻となってくたり、色々な事が追い風となり今はようやく順調な日々を取り戻しました。
これまでのすべての人の出会いに意味があるのだなといつも実感し、何か大きな存在にいつも感謝しております。
このような男です。
妻はカナダで1年イギリスで4年大学でインテリアを勉強して来ました。
次に近況をご報告させて下さい。
歯科医師過剰の時代に入り、開業医も勤務医もなかなか厳しい時代になっています。勤務医の僕は世界の最新歯科医療を勉強するために独身時代は給料をほとんどそちらにつぎ込んでいたのですが、家庭を持つとそうも行かず、最近は、そろそろ開業してみようかなと悩み始めたところでした。
場所や費用、どれくらい貯金が必要で、どれくらいどこで借りるか、どうやって返して行くか、毎日そんな事を考えていました。
自分の勉強するお金をしっかり稼ぎ、いい歯科医療を地域に提供し、家族を着実に養って行く。それが今後の僕の幸せなのだろうと思い、そちらへの方向転換を計画し始めたのですが、この厳しい情勢の中背負うものは大きくなる事が予想された為、その覚悟はあるのか?と改めて基本的な部分に立ち返る事となりました。
今年の4月に入り、それが自分にとって、妻にとって、将来出来るであろう子供にとって幸せなのかと改めて考え始めた時に、日本に帰って来て落ち込んだ時の事を思い出しました。
色々見て来たのに本当にここでいいのだろうか、この道でいいのだろうか、結局ここなのか、他を経験していないのにこんな大きな決断をしていいのか、日本の中で神奈川県川崎市に住んでいるのと同じ様に僕は地球人で日本に住んでいる訳で、他を知らない、知る可能性をもの凄く狭める将来設計というのはいかがなものか、僕は地球人なのだ、本当は地球ベースで生きてみたいのではないか等々。
そんな事をわーーー!!!っと考えて、オーストラリアで歯科医師免許を取得するために夫婦で数年間そちらに引っ越すというのもありなのではないか?という、僕からすると割とアクロバット的な結論が見えて来たのです。そんな妄想をしながら自転車通勤をしていたら完全に上の空だったらしく朝っぱらから大転倒し、右腕骨折に脳震盪を起こしてしまいましたが・・・。
そこから色々調べ始め、田村様のページで、ちょっと無茶なんじゃないか?という僕の不安な気持ちを完全肯定してくれるエッセイに出会いました。
誰に相談してもきっとあまり手放しでは賛成してくれない気はするんです。
若くはないですし・・・。
自分の中でも開業を後回しにしているだけなのではないか、逃げているだけなのではないか、と思う部分もあります。
でも僕はたとえ開業してうまく行っていい車を乗り回していても、地球人になろうと頑張っている僕を見ると羨ましいなって思うと思うんです。
うまく行かなきゃいいのにと思ったりさえするかもしれません。
どうも日本から出る方がしっくり来るような気がするのです。
今はそんな段階です。
不安だった僕を後押ししてくれそうな田村さんのエッセイに出会えた事に感謝している男がここにいますっ!!という事をお伝えしたくてメールさせて頂きました。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。
安藤 大
安藤さん はじめまして。
APLaCの田村と申します。
メールありがとうございました!!
僕の書いた雑文が、安藤さんのなんらかのお役に立てたらうれしいです。
「誰かの役に立てばいいなあ」と思って書いてはいるのですが、大海に石を投げ込んでるようなもので、実際のところどうなのかは分かりません。単なる独りよがりかも知れず(^_^)。ですので、レスポンスがあると勇気百倍です。わざわざメールを送ってくだって、本当にありがとうございました!うれしかったです。
> そこから色々調べ始め、田村様のページで、ちょっと無茶なんじゃないか?という僕の不安な気持ちを完全肯定してくれるエッセイに出会いました。
これは最新のエッセイでしょうか、それとも移住に関するシリーズでしょうか、それとも何処がどうというよりも色々ひっくるめてトータルに、ということでしょうか。いや、単なる好奇心で、どこが受けるのか知りたいという(^_^)。
———
以前、3人のお子さんを連れて永住された歯科医さんがおられました。
自宅でも開業し、かなりキャリアもあり、永住自体も資産家永住(3億円見せ金に積む)という感じでした。
ご本人は極めてまっとーで、腰の低い方で、最初に僕の一括パック的な特訓を受けてヒーコラ言ってましたけど(^_^)、ご家族で移住されました。
でも、3年くらいで帰国しちゃったのですね。
結局言い出しっぺのお父さん(ご本人)が、メゲちゃって。ご家族は(特に奥さんと下の息子さん)は馴染みまくってハッピーだったのですけど、言い出しっぺの本人が落ち込んでしまって。
別に何があったわけでもないのですけど、やっぱり日本人なんですよね。
働かなくても食べられるんだけど、なんか働いてないと落ち着かなくて、、と。でも、こちらで歯科医師免許をまた取るなり、コンバートしようと思ったら、クソ難しい英語をやらねばならないし、そこまでするガッツはないし。
そうなると日々やることが無くなって、充実、、、してるのかな、、?と、また悶々と悩むという。
奥さんは社交的でバンバン外で友達作るし、お子さんは学校で自分なりの居場所がありますが、お父さん、家でやることなし、、、みたいな。
だから結局帰国して(娘さんの一人は居残って地元の学校に通いましたけど)また地元で開業されてます。
金銭的には大損だったとか言ってますが、でも、この話のポイントは、「それでも全然後悔してない」ということです。
確かに骨折り損のくたびれもうけ的に見えるのですが、その過程が大事というか、やってみて「なるほど!」と思うことが大事です。それに海外で悠々自適ということを「やった」という達成感、満足感は途方もなく大きく、「俺はやったぞ」という感じで、後の人生、悠々と地方の開業医として過すことに自信もついたという。
別にこういう感じになれという意味ではなく、やることをやらないと納得は得られないんだろうなあって話でした。
実際、安藤さんも、1年音楽製作をやったことによるブランクやデメリットを受けたと思いますが、後悔はされてないと思いますし、「大いなる納得」を得られたのではないでしょうか。
> 自分の中でも開業を後回しにしているだけなのではないか、逃げているだけなのではないか、と思う部分もあります。 自分の中でも開業を後回しにしているだけなのではないか、逃げているだけなのではないか、と思う部分もあります。
何をもって「逃げ」というか、何をもって「チャレンジ」というか、それは難しいですよね。
ああ、今度のテーマはそれにしようかな(^_^)。
でも、オーストラリアで歯科免許というのはチャレンジのようでいて、まだまだ普通だと思います。こちらの感覚では。オーストラリアでワイン職人になる!くらいに思ってるといいですよ~。僕だって、オーストラリアで弁護士やろうとは1ミクロンも思いませんでしたし。もうやったし、ええわ、って感じ。
> これからもよろしくお願い致します。
はい、何なりとまたメール下さい。では~
田村
01 May 2012 田村様 早速のお返事ありがとうございます。
海の向こうで実在されているのだな、と妙な嬉しさがこみ上げてまいりました^^。
> 「誰かの役に立てばいいなあ」と思って書いてはいるのですが、大海に石を投げ込んでるようなもので、実際のところどうなのかは分かりません。単なる独りよがりかも知れず(^_^)。
どのような経過で田村さんのページに行き当たったかは忘れましたが、オーストラリアを旅行以外の形で目指している人の中でかなりの割合の方が、何らかの形で田村さんのこれまでアップしてくれた情報を参考にしているのではないかと僕は思います………。続きのやり取りはこちらの田村さんのサイトからどうぞ。
人生に悩んでいる方の必読サイト
30代も終わりに差し掛かっていた僕は、田村さんのブログとの出会いなしには一歩前に踏み出せなかったと思います。
「人生これでいいのかな?」とモヤモヤされている方は是非読んでみて下さい。
僕は大きく人生が変わりました^^。
田村さんとの出会いがなければ、このブログを始めることもなかったと思います。
今感じている違和感や「これでいいのかな?」という疑問。それは誰が何と言おうと正しいことが多いです。
やりたいことをやっている人に是非その疑問をぶつけて見てください。
追記
こちらは僕が初めてシドニーにある田村さんのオフィスにお邪魔した時の田村さんのブログです。
「ああ、ここから僕にメールをくださっていたんだな…」とお世話になった僕としてはとても感慨深い訪問でした。
もし良かったら、こちらも是非お読みになってください^^。
Jump The Border!!
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