Last Updated on 2020年4月18日 by Dai Ando
はじめに
海外移住に関する記事を書き始めてから、移住に関する相談を頂くようになりました。
記事を読んで下さるだけではなく、連絡まで下さる方は非常に真剣です。
そこに綴られている想いは熱く、ほんの少し前に自分が持っていた想いや悩みと大きく重なり、まるで自分の事のように感じます。
人生が変わる挑戦ですので、僕も自分のことのように真剣に受け止めています。
- どの国にするか
- どうやってビザを取るか
- 子供の教育はどうするか
- 自分の仕事/資格が活かせるか
- 言葉は大丈夫か
- 資金は足りるか
- 周囲の理解は得られるか
相談の内容は多岐に渡りますが、お話を伺う中でその根底には”恐怖”が横たわっていることを感じます。
ワクワクよりも、恐怖心の方が圧倒的に強いのです。
僕自身もこの恐怖心のため、何年も何年も最初の一歩を踏み出せずにいたので、それはもうよ〜く分かります><。
色々考えると怖くて動けなくなってしまうのです。
この恐怖は何が原因で、どのように克服すればいいのでしょう?
今回から2回に渡り、この恐怖の根源を分析し、その対処方法をお伝えしたいと思います。
分かってしまえば、どこでお化けが出るか知っているお化け屋敷のようなもの。
知っていてもやっぱり怖いですが、大分気持ちが楽になりますよ^^。
2種類の恐怖
海外移住に限らず、
- 何か新しいことを始める時
- 特にその難易度が高い時
恐怖を感じるのではないでしょうか。
この恐怖の正体は基本的に同じで、
- 今持っているものを失う恐怖
- 知らない世界へ飛び込む恐怖
の2つが合わさったものです。
今回は、”今持っているものを失う恐怖”について書きたいと思います。
沢山のものに囲まれた生活
急激に豊かになった現代、僕ら日本人は沢山のものに囲まれて生活しています。
- 家具や家電、洋服、靴、鞄、本、車、自転車、不動産などの所有物
- 親や兄弟/姉妹、親戚、友人、同僚、ご近所さんとの人間関係
- 収入や肩書き、地位
- 近所の商店街、馴染みの居酒屋や定食屋、かかりつけ医、便利な交通機関、四季、温泉、食べ慣れた食材、季節ごとの行事、治安等の住環境
- 日本語の生活環境
- 巷に溢れる雑多な情報
これらは常に身の回りに存在する、
- 空気のように当たり前になっているもの
- 自分の生活環境を快適にしようと、長い年月をかけてコツコツと集めてきたもの
ばかりです。
生存本能からの衝動
人間は色々なものを欲しがり、失うことを恐れます。
- もっとお金が欲しい。
- いいものを着たい。
- 美味しいものが食べたい。
- いいところに住みたい。
これらの衝動は、衣食住を確保し、守り、より良い環境を求める、原始的な生存本能から発せられています。
本来は、死なないように、種を絶やさないようにするのがその目的。
- これまで人類を守ってくれた大切な本能なのですが、
- そうやって生き残ってきた先祖の末裔である僕たちは、
- 全員この衝動の影響を大きく受けていて、
- それゆえ失うことを極度に恐れるのです。
日本を離れることを考えた時に感じる恐怖の半分は、この生存本能から発せられています。
- 日本を離れれば、一時的な喪失も含め、上記したものほぼ全てを、しかも同時に失うことになる。
- だから強い恐怖を感じさせ、実行を阻止しようとする。
これが、”今持っているものを失う恐怖”の正体です。
この恐怖とどのように向き合うべきか
一番の対処法は、”失わないデメリット”と”失うメリット”を知っておくことだと思います。
豊かな現代、失う/手放すことが現況を打破するカギとなる。
僕はそう確信しています。
本能的に感じる恐怖なので、完全に消し去ることは難しいですが、このメリット/デメリットを知っておくことで、
ああ、また怖がらせようとしてるのね。はいはい。
と受け流せるようになります^^。
失わないデメリット
生命の危機に晒される機会が著しく少なくなった現代において、
- 原始時代に有効だった生存本能が発する、”失う恐怖”に従った人生の舵取りは正しく機能するのでしょうか?
- 従った場合、その先に求めるゴールや幸せはあるのでしょうか?
僕たちの大半はこの衝動に従って生きていて、その結果、既に沢山のものに囲まれて生活しています。
もし、今持っているものを入れておく容器があったとしたら、
- 容器の隙間をもっともっと満たさないと!という衝動を感じるけれども、
- 実際は、既に持っている沢山のものでほとんど満たされていて、
- 新たに受け入れる価値があるものを発見しても、それを入れるスペースはなく、
- だからと言って、そのために何かを手放すのは怖くて出来ない。
- いつの間にか”衝動”と”既に持っている沢山のもの”に縛られ思ったように身動きが取れなくなっていて、
- ほんの少しの隙間に新しいものを手に入れてもすぐに慣れて、また次が欲しくなり、
- 慢性的に容器が満たされている今の状態が当たり前となっているため、既に持っているものの素晴らしさを感じることは出来ない。
豊かな現代、非常に多くの方がこのような状態になっています。
ぬるま湯のような快適さと引き換えにした、”失わないデメリット”と言ってもいいでしょう。
この状態がゴールとは思えないし、幸せそうにも見えないですよね。
“失う恐怖”に従った人生の舵取りでは、望む方向へは進めないのです。
失うメリット
“失わないデメリット”があるのであれば、その対極に”失うメリット”があります。
失うことに、どのようなメリットがあるのでしょうか?
3つ挙げたいと思います。
1、大切なものの真の価値に気が付くことが出来る
大切なものは、いつも失ってからその価値に気付く、とよく言われます。
- 大切なものの真の価値は、失わなければ気が付けない。
- ただ持っているだけでは、真の価値は分からない。
とも言い換えられるでしょう。
ちょっと過激かもしれませんが、失うことは僕たちが既に持っている沢山のもの、その素晴らしさを再認識する一番の方法なのです。
2、自分の容器に、新たに受け入れる価値があるものを受け入れるスペースを作ることが出来る
容器のサイズには限界があり、容器のほとんどは既に持っている沢山のもので満たされているので、失うことでしか新たなスペースは作れません。
持っているものを削ぎ落としてみる(=失う)ことで、大切なものに気が付くのと同様に、沢山の不必要なものに囲まれていたことにも気が付きます。
失うことで、何が必要で何が不必要か、を取捨選択する目が養われ、作られた新たなスペースには厳選されたものしか置かなくなるでしょう。
3、自分の”Comfort Zone”から出ることが出来る
自分にとって心地が良い場所という意味で、”Comfort Zone”という言葉がよく用いられます。
人間関係や仕事においてもそうですが、人間は本能的に心地がいい場所を探し出したり作り出したりして、そこに留まろうとする習性があります。
つまり、これまでにコツコツ集めた沢山のものは、自分の環境を居心地を良くしようとした結果なのです。
詳しくはこちらにまとめましたが、実はこの”心地が良い”という感覚、”成長が止まっているサイン”と言われています。
失うことで、自分の”Comfort Zone”から出ることになり、人間が潜在的に持っている底力が発揮されるようになります。
まとめ
日本を離れようとする時に感じる”今持っているものを失う恐怖”は、生存本能が発する過去の遺産。
むしろ失うことで、
- 今既に持っている沢山のもの、その素晴らしさを再認識し、
- 本当に必要なものを取捨選択する目が養われ、
- 新たに受け入れる価値があるものを受け入れるスペースが作られ、
- 結果的に自分の”Comfort Zone”から出ることになり、潜在的に持っている底力が発揮されるようになります。
日本を離れることによる喪失は、自らの意志で手放すということ。
不本意な喪失、例えばリストラや望まない海外転勤等、と比べると、
- 状況をより良くしたいという強い意志を持っている
- より良い未来へのための余力を残している
という点で大きく異なります。
“他人に押し付けられた望まぬ苦労”よりも、”自ら望んで飛び込む苦労”の方が嬉々として乗り越えられるのです。
よって、今持っているものを失う/手放すことを恐れる必要は、全くありません。
本当に恐れるべきは、”失う恐怖”に逆らうことのない、ぬるま湯のような人生なのではないでしょうか。
僕の場合
日本にいる時間が長ければ長いほど、出る時に失うものが多くなります。
- 家具や家電、洋服、靴、鞄、本、車、自転車、不動産などの所有物
- 親や兄弟/姉妹、親戚、友人、同僚、ご近所さんとの人間関係
- 収入や肩書き、地位
- 近所の商店街、馴染みの居酒屋や定食屋、かかりつけ医、便利な交通機関、四季、温泉、食べ慣れた食材、季節ごとの行事、治安等の住環境
- 日本語の生活環境
- 巷に溢れる雑多な情報
40を目前に日本を出た僕は、これらのほとんどを失いました。
恐怖はもちろんありましたが、年齢的、家族計画的、仕事の将来展望的に、これより時期をずらすと、意志の弱い自分はもうきっとこの挑戦に踏み込めないと考え、湧き上がる様々な感情を無視して妻と共に日本を離れました。
- 日本の家族友人から離れ、
- 仕事もなく収入もない。
- 社会貢
献もしていない。 - 語学学校でティーンエイジャーに混じり基礎的な英語の勉強をする僕は、その国にとってお金を落とす存在以外の
何者でもありません。 - 恵まれた環境でバリバリと働いていた日本にいた頃の自分を思い出
してしまうと、比べ物にならない存在の軽さでした。
「日本を出る前の僕は既に、その時の自分が望むものをほとんど持っていた」
失ってみて初めてその事実に気が付きました。
色々悩んで前向きな気持ちで日本を出たはずなのですが、かなり長いこと”日本に居た頃の自分”を羨んでいました。
しかしながら、この経験から学ぶことは非常に多かったです。
- 持っていたものをほとんど手放しても、何とか生きている自分がいました。
- 当たり前だと思っていた上記のもの全てに、心から感謝することが出来ました。
- 失った分を挽回しようと、もの凄いエネルギー/底力が無尽蔵に湧き出ることを知りました。
- 何が必要で何が必要ないかを取捨選択出来るようになったので、以前ほどものに囲まれた生活をしなくなりました。
- その分身軽になったので、いつでも動けます。
- 何かを手放しても、どうにかなることを身を以て知ったので、いつでも躊躇せず飛び込めます。
- “他人に押し付けられた望まぬ苦労”よりも、”自ら望んで飛び込む苦労”の方が嬉々として乗り越えられるのです。
もう二度と、同じ恐怖に人生の邪魔をされることはないでしょう。
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